この記事は、僕が大学受験に失敗した理由と、大学受験に失敗したその後について書いた記事です。
大学受験を控える高校生に向けて書かれています。
(この記事は2020年の4月に更新されました)
こんにちは、DKOです!
今回は僕の大学受験についてお話してきたいと思います。
僕が就活に失敗しましたが、実は大学受験にも失敗してるのです笑
笑い事ではないですが・・・
一応言っておくと、僕は劣等生だったわけではなく、むしろ勉強ができる生徒でした。
先生からも「京大は確実に入れる」と言われていました。
しかし結局は、京都大学どころか、明治大学へと進学することになったのです。
つまり「優秀で勉強してるのに、落ちる」というクソダサい経験をしたのです。
今回は優秀(と思い込んでいた)僕がどうして大学受験に失敗したのか。
そして大学受験に失敗した後はどうなったのか、について赤裸々にお話していきたいと思います。
どのような受験生だったのか
僕の出身大学は明治の文系学部です。
河合塾の出す偏差値によると62~64ぐらいの学部に通っていました。
これだけ聞くとまあまあ高学歴に聞こえますが、実を言うと明治大学は滑り止めでした。
元々は京都大学に行きたいと思い勉強に励んでいました。
なんて本気で思っていました。
実際に僕は県内1番の公立高校に通っていたので、先輩の実績から見ても不可能ではないと思えたのです。
しかし現実は厳しいものです。
早慶で受けた学部は全て落ち、京都大学にいたっては受験することすらできませんでした。
熱心に勉強をしていたはずなのに、どうしてこんな結果になったのでしょうか?
その理由を説明します!!
僕が大学受験に失敗した4つの理由
大学受験はシビアな世界です。
単純に勉強すれば合格するというものではありません。
僕のように優秀だったはずなのに、大失敗することもあります。
ぜひ、大学受験を控える高校生に参考にして欲しいと思います!
途中で燃え尽きてしまったから
僕は高校入学当初から勉強ができた訳ではありません。
中学時代は成績もオール5で秀才だった僕も、県内1位の高校に進むと平均程度の学力しかありませんでした。
一番初めに受けた模試では360人中180番とかだった覚えがあります。
その結果から危機感を覚えて、勉強に熱中するようになりました。
高1の頃から週100時間の勉強時間を最低ラインとして勉強をしていました。
部活がゆるかったこともあり、しっかりと学習時間を確保することができたのです。
また、進学校ということもあり教師や同級生の意識も高かったので、周りと競争しながら勉強をしていました。
しかしその高いモチベーションが保てたのは高校2年生まででした。
決して慢心をした訳ではないのですが、本当に大切な高校3年生になってモチベーションを保てなくなったのです。
マラソンで例えると序盤にハイペースで飛ばしすぎて、ラストスパートで力が入らなくなった感じでしょう。
周りに抜かされるプレッシャーに耐えられなかったから
高校時代の僕は常に学年順位を気にしていました。
本来受験勉強は、全国の人間と競うものなのに、僕は常に学年で自分が何番かに夢中でした。
最初のうちは必死に勉強して学年30番代をキープし続けました。
京都大学の判定もA判定が出ることもありました。
しかしそれも長く続きません。
高3の夏になり運動部の人が部活を辞めて勉強に集中すると、どんどん成績が上がっていきます。
高1、高2でエネルギーを使い果たした僕の順位は相対的にどんどん落ちていきました。
今思えば自分の成績が落ちた訳ではなく、周りの成績が上がっただけです。
しかし周りに抜かされるプレッシャーに僕は耐えることができなかったのです。
大学受験云々よりも学年順位こそが全てだった当時の僕は心が折れてしまっていました。
完全に独学で勉強をしていたから
僕は人生で塾に通ったことがありません。
お金がなかった訳ではありません。
やらされるのではなく、自分で考えて勉強がしたかったからです。
誰に相談するでもなく、自分で予定を立てて、自分のプランに沿って勉強をしていました。
こう言うと聞こえがいいですが、ただの独りよがりの勉強です。
教師や友達のアドバイスも無視して、自分のみを信じて勉強をしていたのです。
高校受験ならばそれでもなんとかなったでしょうが、大学受験はそう簡単ではありません。
しっかりと塾に通い、受験のプロにアドバイスを貰いながら志望校別に沿った対策を行うべきだったと今は思っています。
受験校選びも同じことが言えます。
僕は結局、志望校だった京都大学を受験することすらしませんでした。
なぜなら、高3の冬に志望校を私立の早慶に変えたからです。
国立から私立へ志望校を帰ることは簡単ではありませんし、冷静な判断とは言えなかったでしょう。
仮に志望校を変更するにしても、早慶ならばそれなりの対策が必要だったと思います。
しかし誰にも相談せず、対策もせず無謀にも途中で志望校を変えて結果は惨敗でした。
少なくともやる気のあるうちに塾に通い、適切な方法で勉強をするべきだったと思います。
周りに応援してもらえなかったから
受験は団体戦である
という言葉をバカにしていました。
と思っていました。
しかし成功には周りの応援が不可欠です。
それは、受験に限らず全てのことに言えます。
落ち込んだ時や、困った時、苦しい時に相談できたり、励ましてもらうことで人は強くなれます。
僕はそういった関係を無視していました。
高校生の時の僕は、熱心に大学受験のための勉強していましたが、それ以外のことには無頓着でした。
例えば文化祭や体育祭など、勉強時間を削られる行事には消極的でした。
早く帰りたいから片付けだけは猛スピードで参加しました。
学校の定期テストなどもほぼ勉強をしませんでした。
特に物理や化学、保険や家庭科など大学受験に関係ない科目は授業さえ聞きませんでした。
定期テストは、ほぼ白紙で提出していました。
保険にいたっては100点中28点で10段階評価で2(赤点)の成績がついてしまいました。
しかし当時の僕は
受験勉強以外のこと=無駄
と思っていたので、全く気にしていませんでした。
そんな人を周りは応援しようと思うでしょうか。
幸いにもクラスメートも先生も良い人ばかりで、これといったトラブルはありませんでした。
しかしそんな僕の受験を心から応援していた人はいないのではないでしょう。
僕は高3の成績が落ちて辛い時、志望校を変える時、滑り止めにしか受からなかった時に愚痴ったり、打ち明けることのできる人がいませんでした。
それよりも
というプレッシャーの方が大きかった気がします。
成功の秘訣は効率ではなく、周りからの理解と応援である
と今の僕は信じています。
しかし18才の僕は効率だけを信じて、応援の力を理解していませんでした。
これらの理由で、僕の大学受験は大失敗となりました。
大学受験失敗のその後について
結局僕は滑り止めの明治大学に進学することにしました。
完全に戦意喪失をしていた僕には浪人の道はありませんでした。
今は浪人をせず、この大学を選んで良かったと思いますが当時のコンプレックスは大きかったです。
大学で会う友達は高校時代と比べても「レベルが低い」と思う時も多々あり、自分がこの低いレベルの大学にいるのかと思うと落ち込むときもありました。
文系に進学したので、簡単な因数分解もできないクラスメートも一定数いてショックを受けました笑
しかし悪いことばかりではありません。
学力だけではなくスポーツや芸術など、多様な価値観で生きている人に囲まれることができたのは僕にとっても大きな財産になりました。
一方で僕の友達の多くは浪人し、難関校に合格して行きました。
今でもよく遊ぶ高校時代の同級生は、医学部や旧帝国大学など超難関校の卒業生ばかりです。
最初はそんな高学歴の友達にコンプレックスがありましたが
僕は僕なりに生きればいい
と次第に思うようになりました。
また友達の話を聞くと、高学歴の彼らには彼らなりの悩みや困難があり不必要に羨ましくもなくなりました。
最後に親との問題です
両親、特に父親は僕に過大な期待をかけていました。
自分の息子は京大では足りず、海外の有名校の大学院を卒業するだろうと本気で信じていました。
しかし結果は見ての通り。
受験に失敗したついでに、就活にも失敗してしまいました。
最難関大学を卒業して、大企業に勤めて将来安定・・・なんて期待をしていた父はとてもショックを受けていました。
浪人をしないと父に告げた時は

と怒られました。
就活に失敗したときも

と言っていました。
本当に親バカだからこその発言なんでしょうが、当時の僕は心底傷つきましたね。
親が大きい期待をかけているからこそ、大学受験失敗により父親とはギクシャクしてしまいました。
まとめ
今回は大学受験に失敗した僕の体験談を話しました。
つらつらと失敗した理由について書いてきましたが
結局のところ、そこまで頑張る理由がなかった
ことが理由かなとも思います。
「〇〇の研究がしたい!!」「〇〇大学の〇〇部に入りたい!」「将来〇〇になりたい!」
と明確な目標がある人は受験に限らず頑張ることができます。
僕の場合は学年順位と、学歴が欲しいだけで本当に勉強を頑張る理由がありませんでした。
これが受験失敗の最大の原因かなと今は思っています。
しかしこの失敗で多くのことに気づき、学ぶことができました。
またこの大学に進んだことで多くの出会いや今につながる経験ができたので後悔は一切していません。
受験に失敗して落ち込んでる人は、失敗を成功に変えられるような努力をしてみましょう!
ありきたりの言葉ですが「受験が全てではない」ですよ!
それでは!!