この記事は「高齢者の命のため」のコロナ自粛が偽善である理由を解説した記事です。
(この記事は2021年1月に更新されました)
どうも!DKOです。
今回はコロナ自粛についての記事を書きます。
色々な考え方があると思いますが、僕は「高齢者のための自粛」は基本的に偽善であると考えています。
賛否両論あると思いますが、その理由を解説していきます。
コロナは高齢者の命と経済を天秤にかけている
高齢者の命と経済を天秤にかけているすでに誰もが理解していることだと思いますが、コロナウイルスが流行っている現状は、高齢者の命を助けるか、経済をとるかを僕たちは迫られています。
日本における新型コロナウイルスは、若者に比べて高齢者の命を奪うことは明らかです。
実際に日本でコロナによって亡くなった人のうち、60歳以上が占める割合は約97%です。
これからも新型コロナウイルスは高齢者の命を奪っていくことでしょう。
一方で新型コロナウイルス対策のために、経済は大打撃を受けています。
GDPは戦後最大の実質27.8%減で、旅行業界やエンタメ業界を中心に大打撃を受けています。判明しているだけでも7万人以上の人が仕事を失い、就業者数は昨年比で100万人も急減しました。
つまり高齢者の命と経済を天秤にかけた結果、高齢者の命を守るために経済を犠牲にしているの現状なのです。
コロナ自粛よりも、経済を優先すべき4つの理由
僕個人としては、経済を優先してコロナ対策を行うべきだと考えています。
その理由4つを解説します。
コロナウイルスの致死率は高くないから
コロナウイルスで亡くなる方は基礎疾患のある高齢者がほとんどです。
はっきり言ってしまえば、コロナウイルスでなくても普通の風邪やインフルエンザで亡くなる可能性も十分にありました。
また、そもそもコロナウイルスは致死率も高くなく、重症になった高齢者も80%は回復しているのです。
コロナウイルスによる死者数は多くないから
コロナウイルスで亡くなられた方は2021年1月時点までの合計で約4500人です。
しかし日本では毎年、肺炎で10万人、インフルエンザで1万人、風呂で溺死が5000人、交通事故で3000人が亡くなっています。
コロナウイルスで亡くなる人が基礎疾患を抱えた高齢者がほとんどであることを考えると、深刻に受け取るほどの人数ではないと言えます。
自殺者数が増加しているから
2020年の自殺者数は11年ぶりに増加し2万919人になりました。
30代の女性がコロナウイルスになった罪悪感から自殺するケースや、「自粛」による経済的困窮から自殺するケースなどコロナを防ぐ努力が逆に自殺者を増やしているのです。
本末転倒にもほどがあります。
将来のある若者が間接的に被害を受けているから
小中高生は学校の休校により、学びの機会を奪われ、卒業式や修学旅行などの行事も中止となりました。
受験に影響が出た生徒も少なくありません。
大学生もオンライン授業になり、入学したものの一度もキャンパスに入れていない大学生も多くいます。
これから日本の将来を支える若者が、「高齢者の命を守るため」という名目で犠牲になっているのです。
もちろん高齢者の命も大切です。
しかし多く見積もっても1万人、2万人の高齢者の命を救うために犠牲にしているものが多すぎます。
たとえ10万人が死のうともGDPを25%下げることとつり合いは取れていません。
端的にいえば、世間は80歳や90歳の高齢者の命を過大評価しているのです。
「高齢者の命のため」のコロナ自粛が偽善である理由
しかし、ミクロの世界で考えると

と考えるのことは自然で、当然なことだと思います。
一方で

と考える人もいます。
しかし、これは明らかに偽善なのです。
その理由を説明します。
僕らはいつも見知らぬ人の犠牲の上に生活をしてる
僕らは資本主義の上に生活をしています。
資本主義は、簡単に言えば「弱肉強食の世界」です。
富める者はどんどん富み、貧しいものはどんどん貧しくなっていきます。
それが効率的で、結果的に多くの人を幸せにするのです。
しかし僕らは日常的に「弱者を犠牲にして経済を回している」ということを自覚しなくてはいけません。
たとえばユニクロやGUではアジアの貧しい国の労働者を過酷な状況で働かせてできた製品です。
チョコレートは、アフリカの貧しい国の子どもが違法労働で作っているものです。
スーパーで買う野菜も、時給300円で働かされているアジアから来日した「技能実習生」が作ったものかもしれません。
僕らが見えないところで、法外に安い賃金でかつ、時には死につながる過酷な労働環境で働いている人によって僕らの生活はなりたっているのです。
もし、これらの人が適切な時間と給料と環境で働いてしまえば、多くの商品が大きく値上がりして僕らは困ることでしょう。
コロナが流行した初期に「命が大切か、経済が大切か」の議論が起きましたが、僕から言わせればそんなこと既に決まっています。
アジアやアフリカの貧しい国で働いている人を犠牲に安い商品を享受しているように、一部の高齢者の命を捨てて経済をとることが自然です。
「高齢者のために!」と経済自粛を行う人たちは、今まで自分がどれ程多くの人の犠牲の上に経済的豊かさを手に入れているかを自覚していないのです。
だからこそ偽善なのです。
もちろんフェアトレード商品を購入したり、産地を見て商品を買っている人は違いますが・・・
まとめ
資本主義の社会で生きる以上、弱者をある程度切り捨てて経済的利益を求める必要があります。
そして実際にそのようにして僕らは利益を享受してきました。
たかが1万人、2万人の基礎疾患を持っている高齢者の命を救うために経済をストップさせるのは資本主義の原則に反しています。
そんなに経済よりも人の命や健康が大切ならば、日本で奴隷のように働かされている「技能実習生」やチョコレートや衣服を作るために過酷な状況で働いている子ども助けなければつじつまがあいません。
「日本人の高齢者は救うために自粛をして、経済をストップさせます」「でも自分が安く商品を手に入れるためには、苦しむ人がいても構いません」は完全に矛盾しているし、完全なる偽善なのです。
それでは!