【芦田愛菜から学ぶ】「裏切られた!」時にあなたが考えるべき3つのこと

この記事は裏切られた経験を持つ方へ向けて書かれた記事です。

「裏切られた!」と感じた時に考えることを芦田愛菜さんの言葉から解説しています。

(※この記事は2020年9月に更新されました)

 

どうも!DKOです。

皆さんは、友達や知り合い、同僚から「裏切られた!」と感じた経験はありますか?

信用していた人から裏切られた時のショックはとても大きいですよね・・・

今回は裏切られたと感じた時に、どんな風に考え、どのように立ち直ればいいかを説明します!

あなたは本当に裏切られたのか?

裏切りられたエピソードはよく聞くことがると思います。

仲良いと思っていた友達に仲間外れにされた・・・
婚約相手が浮気をしていた・・・
信用していた同僚に、ミスをなすり付けられた!
などなどです。
でもこれって本当に裏切り何でしょうか?
ひょっとすると「あなたが勝手に他人に期待をしていただけ」なのではないでしょうか??

芦田愛菜が語る「信じる」について

「裏切られた」と感じる人に向けて、女優の芦田愛菜さんがこんなコメントをしています。

芦田愛菜さんは2020年9月3日に映画「星の子」の完成報告イベントにて、以下のように述べています。

「その人を信じる」というのは、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とする人物像に期待してしまっていることなのかな。

だからこそ人は、裏切られたとか言うけれど、それはその人の見えなかった部分が見えただけであって、そのときに「それもその人なんだ」って受け止められる揺るがない自分がいることが信じられることなのかな。

深くて、鋭いコメントですよね。

そして、このコメントにこの記事で言いたいことが詰め込まれています。

 

この世の中には「裏切られた」と言い切れる事柄は多くありません。

例えば、お互いが了承の上で書類を交わして、それを破られたら「裏切られた」と言ってもいいでしょう。

まぁ、その時は裏切られたというより、ただの犯罪ですが。

 

僕らが一般的にいう「裏切られた」はどちらかと言うと、自分の理想を相手に押し付けて「きっとこのように動いてくれるだろう」と考えた甘い期待が裏切られただけなのです。

厳しい考え方かもしれませんが、この考えを変えない限り、永遠に人に理想を押し付けて、それがうまくいかないと傷つくことを繰り返すことになるのです。

 

裏切られた時にあなたが考えるべき3つのこと

それでは、もし自分が「裏切られた!」と感じたらどのように対処すればいいのでしょうか。

仕返しを考えるよりも、泣くよりも、ペットに愚痴るよりも、すべきことがあります。

それは、自分自身の考えを変えることです。

その3つの考え方を解説します。

 

1.人間は他人からの期待を満たすために生きているのではない

裏切られたと感じる人は、人に過度に期待をしている場合があります。

自分の理想像を相手に押し付けて、自分の理想とは違う行動をされると「裏切られた!」と感じるのです。

はっきり言って、いい迷惑ですね笑

 

例えば、仲が良かった友達に急に嫌われたとしてもそれは裏切りではありません。

どんな人間だって、気分が変わることがあります。

ひょっとしたら、あなたの些細な言動が気に障ったのかもしれません。

何にせよ、常にあなたの期待通りに友達は動いてくれることはないのです。

もちろん契約書を交わしていたら別ですが・・・

 

友人だけではなく、家族や恋人にも同じことが言えるでしょう。

「ずっと好きでいてくれる」「ずっと助けてくれる」なんてことは理想を押し付けているだけにすぎません。

人間なので、気持ちが変わることも、損得で動くこともあります。

彼氏に急に振られたり、家族に酷いことを言われても、それは裏切りではなく自然なことなのです。人間なのですから。

もちろん、嫌なことはハッキリと言い、危害があるなら防ぐべきです。

しかし、「自分以外の人間は、あなたの期待を満たすために生きている訳ではない」と考えるようにしましょう。

 

人に過度な期待や、理想像を押し付ける人は、自分も同様に人の評価や期待に敏感です。

周りの期待を(勝手に)感じて生きているので、自由に生きることができていません。

だからこそ

自分は周りの期待に応えて生きているのに、何であいつは私の期待に背くんだ!!裏切りだ!!
と余計に感じてしますのです。
「自分が自分のために生きないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるのだろうか」
というユダヤ教の教えがあるそうです。
人の期待ばかりを気にして、承認欲求のために生きても、それは自分の人生ではないのです。
なんども繰り返すようですが、あなたを含めてこの世の誰も他人の期待のために生きているのではないのです。
あなたが裏切られたと感じるならば、それは勝手にあなたが他人に期待をしていただけです。

2.課題の分離をせよ

僕の好きな言葉に「馬を水辺に連れて行くことはできるが、馬に水を飲ませることはできない」というものがあります。
馬が水を飲むかどうかは、僕らはどうすることもできません。それは馬が決めることなのです。
これが「課題の分離」をよく表しています。
課題の分離とは、自分がすべきことと、他人がすべきことを分けて考えることです。
「裏切られた!」と考える人は、この課題の分離ができていません。
例えば
息子を大学に行かせる為に費用を稼いで、塾にも通わせたのに、結局息子は高卒フリーターになってしまった!
こんなケースで「裏切られた!」と感じる親は多いです。
しかし、これは課題の分離ができていません。
進学の費用を稼いだり、大学に行って欲しいと考えるのは、確かに親の課題でしょう。
しかし、大学に行くかどうかは息子の課題なのです。
その息子の課題に首を突っ込んでしまうと、自分の思い通りに行かない時に「裏切られた!」と感じてしまうのです。
あんなに愛して、たくさんお金も使ったのに、彼女は僕を振って別の男と結婚してしまった!
もちろんこれも裏切りではありません。
彼女を愛することも、お金を使うことも彼氏さんの解題です。
しかし、彼氏を愛するかどうかは、彼女さんの課題なのです。
この課題を分離できていないと、「あんなに愛したのに裏切られた!」と逆恨みに発展するのです。
変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ
これは、アメリカの神学者ラインホールド・ニーバーの有名な言葉ですね。
他者が自分のことをどう評価するかは、他者の課題です。
自分を裏切るかどうかも、他者の課題です。
どれも自分では変えられません。
だからこそ、僕らは他者の課題と分離して、自分の課題に専念するべきなのです。
そして、他者の課題を冷静に受け止める必要があるのです。

3.「期待する」と「信じる」を間違えない

「裏切られた!」と話す人は、決まって次には「もう人なんて信じられない」と言います。
これは大きな間違いです。「期待」と「信じる」をごちゃ混ぜにしていますね。
「期待する」とは自分勝手な通信簿を人につけているようなものです。
自分の理想通りに人が行動してくれることを期待しているのです。
もし期待通りに動けばプラスの評価をつけて、逆に自分の期待に背けば「裏切られた」とマイナスの評価をつけます。
マイナスの評価が続けば、きっと「この人は信じらない」と失望することでしょう。
なんて身勝手なんでしょうか笑
勝手に期待という名の成績をつけられる人の身にもなってくださいよ。
一方で「信じる」とはその人の課題に踏み込まないことです。
信じた人がどのような行動や決断をしても、それはその人の課題です。
もちろん、助言や助けをすることもあるでしょう。
しかし、自分の期待から評価することなく、その人の課題(決断や判断)を受け入れることが信じるということなのです。
たとえ自分のことを嫌いになったとしても、それは相手の課題なのです。
相手の判断を受け入れた上で、自分は自分の課題に取り組むことが信じるということなのです。

まとめ

「裏切られた!」というエピソードはよく中高生(主観では女子)からよく聞きます。

多感な時期に、学校という集団生活をしている中で他者の期待を過度に感じたり、課題の分離ができていないからでしょう。

大人になってからも「人を信じるたびに裏切られる・・・」と相談される人も少なくありません。

 

しかし、あなたがしているのは「信じる」ではなく「期待している」です。

「こうして欲しいなぁ」という相手の期待が、いつしか自分の中で「こうしてくれるはずだ!」に変わっているだけなのです。

もし、あなたが裏切られたくないのであれば、人に期待することはやめましょう。

その代わりに人を信じるようにしましょう。

相手の課題(決断や判断)に首を突っ込まず、受け入れましょう。

そうすれば、今よりも良い人間関係が作ることがでるはずです。

 

それでは!