この記事は、ハイスペックの僕がなぜ就職活動に失敗したのかを解説する記事です。
(※この記事は2020年1月に更新されています)
こんにちは。DKOです。
就活が始まると、不安な日々が続きますよね。
「就活失敗したら、どうしよう」
そんなことが頭を過ぎるのも一回や二回じゃ無いでしょう。
しかしこの時代、よほどのことが無ければ内定は取れます。
大丈夫、安心してください。
「よほどのことが無ければ」ね。
というわけで、今回は僕がハイスペックにも関わらず、内定が0だった理由を徹底公開します。
僕はどんな就職活動をして、その結果就活に大失敗したのか。
ぜひ反面教師にしてください。
就活のスタートが遅い
僕の就活のスタートは留学とバックパッカーのためとても遅いスタートとなりました。
例えば、就活は大学3年生の夏頃から始まります。
様々な企業が大学3年生を対象に中長期のインターンを開催するからです。
「たかがインターン」と舐めてはいけません。
僕の周りにもインターン先の企業に就職が決まった人は多いですし、周りが就活に本腰を入れていない分、大きなアドバンテージになります。
就活のことを考えて、この時期にボランティア活動や業界研究などを始める人は多いでしょう。
僕はといえば、その時期は留学に行っていました。
留学先の生活に慣れることに精一杯で、就活なんて頭にありませんでした。
Twitterなどで、日本の友達がインターンをしてる様子は知っていましたが、
と本気で思っていました。
今覚えば勘違い甚だしいですが。
そして年末や年明けからは外資系の企業の採用が行われます。
留学を経験した人はこの時期ごろに、英語力を生かして外資系企業への就活を始めます。
一方で僕はバックパッカーとして、南米大陸を旅していました。
メキシコにコスタリカ、エクアドルにペルー、そしてボリビアと自由気ままに旅をしていました。
すぐに帰国をして就活をする道もあったのですが、「なんとなく外資は仕事が大変そう」というテキトーな考えで外資企業は敬遠していました。
よく調べずに志望企業や、職種を決める
就活が始まる最初の時期は、就活生は「自分がどんな仕事をしたいのか」に一番頭を悩ませると思います。
しかし僕は「日系メーカー企業」にあっさりと決めました。
理由は「有名で何となく、楽そうだから」です。
当時の僕はとにかく働きたくありませんでした。
なので、安定してお金が入ってくればそれでいいと思っていました。
お金が欲しいわけではないので、多少薄給でも安定している大手の日系メーカーでいいかなと安易に思っていたのです。
職種も営業職を希望することにしました。
これも特に理由がある訳ではなく、何となくイメージできたのが営業だったからです。
「自分に合っているかどうか」なんて全く考えていませんでした。
今思えば、日系大手機械メーカーは今後グローバル経済の中で苦戦を強いられることは必須です。
営業という職業も決して楽な仕事ではありません。
また「物を買ってもらう」仕事はどう考えても自分には合っていません。
そして大手日系メーカーと言えども長時間労働が当たり前の職場もありますし、必ずしもホワイトとは言い切れないでしょう。
しかし僕はそんなことは一ミリも考えず、手当たり次第よく調べもせず有名企業40社ほどの説明会やエントリーシートを提出していきました。
エントリーシートを適当に書く
説明会シーズンが終わると、本格的にエントリーシートを提出を始めました。
僕はエントリーシートを書くことが楽しくて仕方がありませんでした。
交換留学やバックパッカー の経験に加えて、TOEIC890点の英語力や、大学での実行委員の活動など書くことはたくさんあったからです。
それにこのブログをやっている通り、(上手いか下手かは別として)文章を書くのが好きだったのもあります。
周りの就活生がエントリーシートを書くのに苦戦している中、ハイペースでエントリーシートを仕上げていきました。
エントリーシートを書いていると自分が優秀な学生に思えてきて本当に楽しかったです。
しかしちょっと待ってください。
「楽しかった」と書いてありますが、それが良いとは限りません。
僕は好き勝手にエントリーシートを書いていたのです。
誰かにエントリーシートをチェクを頼むこともなく、書き方を習うわけでもなく本当に自分の好きなように書いていました。
エントリーシートは本来企業のことをよく調べた上で、求める人物像に沿って書くものです。
しかし僕は、適当に選んだ会社に、自分が気持ちよくなるエントリーシートを送りつけていました。
完全なるオ●ニーです。
これでは、通るエントリーシートも通りません。
企業研究をせず、面接に行く
完全自己流のエントリーシートはたくさん落ちましたが、かなりの数の企業をエントリーしたので通る企業ももちろんありました。
そして、多くの面接を受けることになります。
この時点でも僕は一切の不安を抱いていませんでした。
と余裕しゃくしゃくでした。
しかしここで僕は致命的な失敗をします。
志望動機を考えることや、企業研究をすることを一切しなかったのです。

と思われることでしょう。
しかし当時の僕は
と本気考えていたのです。
面接で聞かれることも全て、その場で考えて答えていました。
何をする企業か一切知らずに、面接に臨むこともよくありました。
ここまで書くとクレイジーな人ですが、僕が志望動機を考えることや、企業研究をすることを一切しなかったことには理由があるのです。
それは、本当に「就活に興味がなかった」ことが理由です。
お金にも仕事にも、当時の僕は全く興味が湧きませんでした。
なので、企業の商品も精神も一切調べる気になりませんでした。
「僕を雇いたければ、雇えば?」的なノリでした。
さながら、好きでもない人とするお見合いです。
僕は「世間」という名の近所のお節介おばさんに、無理やりセッティングされた「企業」のお見合いに行っていたのです。
8社の最終面接に落ちる
しかし、僕のスペックは企業には魅力的に見えたようです。
こんな適当な面接の受け方でも、あれよあれよというまに最終面接まで辿りついた企業がいくつもありました。
キャノンやNHK、LIXIL、NECと言った誰もが知っている大手企業に加えて、大手化学メーカの日立化成やソフト会社の富士ソフトなども加えて8社の最終面接を受けました。
最終面接でも、僕は特に対策もせずノコノコと面接会場まで行っていました。
結果はどうなったか。
8社ですよ?8社最終面接すれば1社ぐらい受かると思うじゃないですか?
結果は内定ゼロ
いや〜絶望しましたね。
最初から箸にも棒にも引っかからないならまだしも、最終面接まで行って8回も落とされるんだから心にきますよね。
もちろん今振り返れば、この無茶苦茶な就活で内定を得る方がおかしいですよ。
でも、当時の僕は一応は就職する予定だったので、かなり焦りました。
周りの友達も就職活動を終えていて、劣等感も半端ありませんでした。
ここで気持ちを切り替えて、就活をすれば内定の可能性はまだまだありました。
しかしそんな素直な僕ではありません。
何と
と理不尽な怒りが湧いてきたのです。

特にアイデアがあるわけでもないのに、内定ゼロで就活を終えることを決めたのです。
まとめ
僕が就活に失敗したのは、「腹をくくる」ことができなかったことが理由です。
就活をするのか、しないのかその答えを出せずに、ダラダラと就活をしたのです。
「就活はするけど、一切マジメに取り組まない」という矛盾した行動もその結果です。
この記事を読んでいるあなたはどうですか。
腹をくくれてますか?
「自分は、就職活動して企業で働きます!」と胸を張って言えますか?
もし言えないのであれば、企業研究や自己分析の前に「本当に自分は就活するのか?」と時間を取って、真剣に考えることをオススメします。
働きたくない、面倒くさい、辛い、など色々思うとこはあれど、「就活をする」と決心することが大切なのです。
一度決めたら、あとは進むのみです。
長くなってしまったので、次回に大学4年生の7月以降の出来事を書いていこうと思います。
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